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昭和42年02月14日 夜の御理解
朝のご理解に、『おかげは受け徳受け勝ち』ということについての御理解を、色々な角度で頂いた。その、おかげは受け徳受け勝ちというのは、どこまでも神様が熨斗を付けて下さると言った様なもの、それを受けるのが受け勝ちである、受け徳である。下さろうとしないものを、自分の、只、努力とか、只、才覚で取ろうとする。それは、決して受け徳受け勝ちにはならない。
受け徳受けがちと言うのは、神様が下さろうとするもの、しかも熨斗を付けて下さろうとするものを、有難く頂く、ということは、これは天地の保証がついておる様なものじゃという様なご理解でしたですね。ですから、天地の保証が無い物やら、金やらと言うのは、いうならばそれは、まぁお金で言うならば、偽札の様なものだと。ですからそれを偽札を使えば偽札使いとしての、やはり難儀というものというか。
まぁ普通分かりやすう言うなら、とがめられるということになるわけです。その法に裁かれなければならないということになる。神様が熨斗を付けて下さるもの、神様のご信用というものが、その金なら金に、裏付けのあるもの。信心の裏付け徳の裏付けがあって始めて、その金が生きてくるのだと。そういうおかげを神様が下さろうとする。それを自分の方から、いいえ、いりませんと言うて。
あのいう様な人があるという様な実話をもって、例話をもってお話をしたんですね、今朝。だからもう一辺、今朝の御理解を頂くと、そこがよう分かる。神様が、ほんなら、熨斗付けて下さろうというものを、いいえ、と言うてその、それを頂かない。それは私は、かえって御無礼になると、という様なことを申しましたがね。今日は、それに関連した様なお取次を次々とさせて頂いたんてす。
今日は、朝の御理解がやっぱり、その日の一日の支えと言われるのは、そういうところに由縁があるですね。今日、ある人が参ってまいりました。熱心に娘時代には、お参りして来よりました。縁につきましてから、長男と言うても一人もんですから、一人もんと言うが、家がないですから、勤め先の方の社宅に、今、おります。その主人になります兄弟が四人かおりますが、その一番長男です。
大変夫婦円満におかげを頂いとります。ところが、その、最近、一人、その主人の弟に、いうなら、よた者の様な、本当に良くない人が一人あったんです。ですから、兄弟中から嫌われもんで、それが、頼って行くことを、皆が嫌うとったけれど、結局は、親方の所にやってくるから、その人の家で、居候しとった時代もあったくらいでした。その人がですね、何か喧嘩かなんかで、その事故で亡くなったんです。
丁度、半年程前でした。ところが、その人が保険をかたっとった訳ですね。ですから、その保険金が兄弟四人で分けた訳なんです。ところが、その分け方が悪かったと言うて、その嫁さんになるとが、その椛目に参って来よる、娘時代に参って来よった人がです。もう残念で残念でたまらなかったとこう言う、。仏さんは、自分方で見らんならん。又は、生前も、皆が嫌われ者を、自分が見とったと。
それに、あーたという人は、どうした馬鹿ですかと。ちった親方じゃから、あーたが少し、余計貰うて、他の人達に、こう分けてやればいいのにという様な思いで、どうも、これが治まらなかった。面白いね。その金が入って来たばっかりに、そういう苦しい思いをせなきゃならん。ところが、それまでならまあだ良かったんですけども。その、昨日、日田の方に兄弟が居るんですね。
兄弟から電話がかかってきた。それで本人が出たところが、姉さんあんたじゃ分からんから、兄さんと代わってくれとこう言う。弟さんから電話がかかってきた。日田の方で食堂をしておる。それでその人から主人に電話がかかってきたというのが、どう言う事かというとその二階を下宿にしたい。それで兄さん済まんけれどこの頃、分けたばっかりのあの金を貸してくれと言うてその、電話が掛って来たというのである。
ようやく貰うたばっかり、その金を貸す。ところが、こちらの主人が、人間が良いもんだから、そんなら貸そごつなかばってん、貸さじゃこてと言うごたる風で約束したらしい。そこで、又、その嫁さんがですね、いよいよ穏やかでない訳なんです。そりゃ何故、私に一口ぐらい言うて下さらんかと、さぁそれを思うたら、分け前が足りなかったことも、もやもやしよるならです。
又、ようやく貰うたかと思うお金が、又その、貸さなければならないということで、夕べ一睡もしなかったと、腹が立って。皆さん、どうでしょうか。思いもかけないところから、思いもかけない、いうなら神様が熨斗を付けて下さる様な金なら、金が入ったと致しましょうか。そして、それを皆さんの立場で、一つ考えてみてごらんなさい。もう、本当に、いうならば、これは第三者から見ると馬鹿の様な話。
なかもんと思やどうするのと、あげんあんた、要らんもんにしとった、その弟さんが亡くなっただけでも有難いとに。その上あんた、お金まで貰うちから、こげな有難いこつがあるもんの。向こうも借金払いで金貸してくれといよるのじゃない。普請のひとつもしようとしてからの、ことじゃから、相手の繁盛願や、それは利が付いて返ってくるとばい。あんたが銀行に入れとくより、かえって良かろうもん。
只あんたに相談しなかったというところにです。いうならば、あんたが腹を立てんならんけれどもです。それとても、私はあんたが腹んたてるとこはどこもないて。そういう様な話させて頂いたんですけどもね。ところが先生、実はこうやって、それこそ涙ながらにお届けさして頂いとりますけれどもです。どうぞ親先生御結界に座っとって頂く様に、座って頂く様にと言うて、願うて参りましたと。
そしたら先生私この障子を開けて入って、ここに座った途端にです。ほんに昨日から眠れんごと腹の立ったことが、馬鹿んごと感じますと言うておる。帰ったら早速主人にお詫びさして貰うてから、どうぞああたの兄弟のことじゃから、よかごつしてあげなさらんのと帰って言えそうでございますと。信心の有難いところはそこだとこう思うですね。けれども、ほんならもし私がここへ座ってなかったら。
ひょっとすりゃそうじゃなかったかも知れんですね。あれは不思議な事ですね、それがです、今朝からの御理解と、こう思い合わせて頂きます時にです。本当におかげは受け徳受け勝ちという様な信心が出けておればですね、それを有難く頂くことがでけ、又いうならば兄弟の者が引っ掛けて、それを貸してまた引っ掛かって参りましてもです。結局自分には、のさらん金だとしてから諦めることがでける。
自分の働いた金からやるのじゃない、借ってきた金なのだから。それになんぞやその兄弟四分の一に分けたことが腹が立ってたまらん。親方であぁたがどうも大人しゅうして言いきらんけん、こげな金馬鹿にされるち言うて、腹かいた自分が恥ずかしいごとなってきた。けれどもさぁそれは皆さんの場合、皆さんでもどうでしょうか、腹が立たんでしょうか。そこにですね、本当にお金やら物やらという様なものがですね。
徳以上のものが備わってくると、いよいよこれはやっかいなことになるんです。昨日の、そこの宮崎さんのお話じゃないですけども、皆さんの知っとられる、例の話しを二件しよんなさいました、ここで。二件とも養子さんを迎えた。沢山な財産も出来た、立派な家も出来た。ところが、その本当に、もうほんに、あすここそ極楽じゃろうというところが、実をいうたら、そうじゃない。
大変な難儀を、二件とも感じておられるという話を聞かして頂いたがですたい。いかに、なるほど、神様が熨斗を付けて下さったものでない証拠なんです。本当に神様が、熨斗を付けて下さる時には、私共はそこんところを、受け徳受け勝ちとして有難く受けさせて貰うだけの、信心が出来ておらなければならん。その信心がでけてさえおればです、それがよし、例えば千円の物が二百五十円でありましてもです。四分の一の二百五十円でありましてもです、それが有難く受けれる
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